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曼殊院門跡
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「春霞立つを見すてて行く雁は花なき里に住みやならへる」

春の佳き季節になったのにそれを見捨てて北の国へ帰っていく雁は、花の咲かない里に住むくせがついているのだろうか
新たに葺き替えた小書院の屋根は、桂離宮と同様雁が重なって飛んでいく姿を表わしているといわれます。まさにこの歌のように爛漫と花が咲き誇る中、雁が飛び去っていく情景が今の曼殊院に見られます。
                                                       
       石楠花が咲きました        旧国宝茶室と散り椿
                           

弁天池の山つつじです。今満開となっております。弁天池の水面には桜の花びら散り流れています。これは「花筏」といわれるそうですが。今年池に睡蓮を植えてみました。
きれいな水面に咲く花を期待しております。                

     小書院             大書院

   谷崎潤一郎先生寄贈の鐘      敦忠の山荘跡前は音羽川 

曼殊院には「谷崎潤一郎先生寄贈の鐘」があります。この鐘は法要の準備や開始の合図に使用します。谷崎先生の代表作のひとつ「少将滋幹の母」を執筆するにあたり、当時天台宗の碩学と呼ばれた曼殊院第三十九世山口光円門主に天台の教学を学び、作中に描かれました。また滋幹が雲母坂超えて、恋慕う母に再会する有名なラストシーンについて、谷崎先生は、「ちやうど現在の曼殊院のあるあたり」といわれており、山口門主から一乗寺近辺の地理・道程をも聞かれ、作品に書かれました。谷崎先生はお母さんの法要をここ曼殊院で営まれています。
《少将滋幹の母》
 菅原道真公は政略・讒言などで、大宰府に左遷されますが、首謀者は藤原時平です。この時平はこともあろうに、自分の老齢の叔父、大納言国経の美しい若妻に横恋慕し、奪ってしまいます。この若妻は北の方といい、4歳か5歳の子がいました。これが滋幹です。残された滋幹は母を恋しく思い、妻が忘れられない国経はというと、妻をあきらめようと屍骸捨て場に行き、若い女性の死体の前に座り、不浄観を行じる場面があります。この不浄観というのは、執着心を取り除く行法の一つで、死体が腐敗し・白骨化し・土に帰るまでの姿を心中に感じ、煩悩・欲望を取り除く観法ですが、「少将滋幹の母}の文中に「日ごろ眷顧を蒙っている天台宗の某碩学などに尋ね・・・」とあり、これは山口門主のことです。また時平の子である、権中納言敦忠はこの一乗寺曼殊院の近辺に山荘を営んでいました。敦忠は三十六歌仙の一人ですが、早くから菅原道真公の怨霊による悲運を感じ、「我が家は短命の筋・自分は早く死ぬ」と予見していました。この敦忠の山荘跡に菅原道真公を祀る北野天満宮の別当職を務める曼殊院が移ってくるとは。不思議な縁を感じます。尚敦忠の山荘は音羽川の水をせき入れて、人工の滝をつくり、池を設けて木々を配し、この上もなく風雅な山荘で、今の修学院離宮から曼殊院あたりにかけてあったといわれています。

敦忠亡き後山荘を訪れた伊勢の歌
   音羽川せき入れておとす滝つ瀬に 人の心の見えもするかな

※先般藤原敦忠を取材していた某テレビ局から、曼殊院から南西に下ったところに、「藤原敦忠山荘跡」という真新しい石碑が立っていますが、との問い合わせがありました。その場所は音羽川からはかなり離れており、近くに別な谷からの川が流れているので、わざわざ音羽川から水を引く必要もなく、また地理的に起伏も少ないですし、風雅な山荘を営むには無理があると思います。地元の方はわかっておられると思いますが。その場所に石碑を建てられた意図はわかりません。
扁額「塵慮尽」 大書院縁側にあります
桂離宮を創設された八条宮智仁親王の第二皇子良尚法親王はこの扁額が出来上がるのを待ち、曼殊院の造成を始められたといわれ、当院では最も大切なものの一つです。よこしまな心を払い取り除くというということだそうですが、塵とは汚すという意味で、私たちの清らかな心を汚し迷わすものに「六塵」といものがあります。それは外からくる色・声・香・触・感情ですが、これらは眼・耳・鼻・舌・身を通してやってきます。良尚法親王は曼殊院がいつまでも清らかなところで、縁あって曼殊院においでいただく皆様がいつまでも清らかであってほしいとの願いが込められています。
「懺悔 懺悔 六根(眼・耳・鼻・舌・身)清浄」山登りに唱えますが、曼殊院においでいただき、良尚法親王の」意を汲んで、清浄な心身となってお帰りいただければと願います。


 
 
 
 大書院こけら葺屋根の葺替作業が終わりました。雅な宮中・公家文化を
 ご覧下さい。どうです優雅でしょ・・・・。
日本の究極の「わび」「さび」の世界がご理解いただけるでしょうか。
寂び侘びとは口と身と心を慎み、おごることなく正直に日々を送る中で、閑寂さの中に奥深いものや豊かなものが自ずと感じられる美しさを言います。不足の中に豊かさを、さびしい中に美しさを感じる。これが曼殊院です。
          
 
平成24年12月3日天皇・皇后(現上皇・上皇后)両陛下に当院へ行幸啓(ご来院)賜りました。
右は「後奈良天皇」様の般若心経ご宸翰です。「後奈良天皇」は第105代
の天皇様ですが、1526年即位されましたが、即位礼を挙げられるまで10年を要されました。それは皇室の財政の逼迫と、疫病が流行し、洪水や飢饉も度重なったためでした。後奈良天皇はたいへん慈悲深く、また学問にも熱心で古典にも親しまれたといわれています。また後奈良天皇様は常に民衆の平安と安寧を祈られ、疫病流行の際には般若心経を諸国の寺社に納められた。当院の般若心経は「安房国」とありますので、現在の千葉県の社寺に納めるため書かれたものです。良尚法親王の実家八条宮(桂宮)家の所領が知波(千葉)にあった関係により当院当院に伝来したと思われます。行幸啓いただいた天皇陛下はこの般若心経をご覧になり、ご苦労された後奈良天皇を偲ばれておられました。
直後にご入洛された皇太子殿下(天皇陛下)も希望されご覧になっておられます。

 
これは何でしょう?
 正解は枕です。親王様が関東へ下る際、旅先でも茶道・香道を楽しむためのものです。どんな環境でも心静かに。智慧は静かな心から生ま
れる。「平常心是れ道」 





天皇・皇后両陛ご退位ご即位記念
特別公開
 重要文化財 後奈良院般若心経御宸翰

特別公開
 廿一帝並摂政関白大臣真影





 1月3日

2月15日

5月

7月5日

正月・4月・9月


毎月28日

 不動尊初護摩

涅槃会

菌塚法要

良尚親王忌

弁財天例祭

不動尊護摩供養


希望があれば、執事長が「10分間法話」をさせていただきます
事前に連絡をお願いします
※夜間拝観について
 令和2年度の夜間拝観は中止と決定させていただきましたが、各方面からの強い要望があり、11月1日から11月13日のみ夜間拝観を実施させていただきます。
拝観時間 夕暮れから20時まで(19時30分受付終了)



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